♪チェッチェッコリ チェッコリサ♪

最近テレビのコマーシャルでよくやっているこの曲、耳にしたことがある人も多いかと思います。
この歌がもともとどこからきたものかとか、どういういきさつでボクたちの耳に届くようになったのかとか、そういうことを解説するとなんとなく比較文化っぽくなりますか? でも今回はそれとは別の話なんです♪
(ちなみにあのコマーシャルの会社のホームページの情報によると、もとはアフリカのガーナという国の子どもの遊び歌らしいです。)
ここで考えてみたいのは、あの歌の「チェッコリサ♪」の次の部分が、皆さんの耳にはいったいどう聞こえているんだろう、ということです。
ボクのまわりには「あれはどうしても「二酸化マンガン」としか聞こえない!」という人がいます。ボク自身、そのように感じていた一人です。インターネット上の日記などを見ても、そういうふうに書いている人は多いです。
それでは、ボクたちの耳にはなぜ「二酸化マンガン」と聞こえてしまうのでしょうか。
それは、ボクたちの多くが生まれたときから日本語を使って育ってきて、いまも日常生活のほとんどの場面で日本語を使っていること、そして日本語の中に「二酸化マンガン」という単語があって、その単語をボクたちが知っているからです。
つまり、これまで接したことのない場所の遊び歌を耳にしたとき、ボクたちはそれをありのままに聞き取るのではなく、自分たちになじみの深い日本語を知らず知らずのうちに利用して聞いてしまっているということなのです。
同じようなことは、英語の聞き取りのときにも起こることがありますね。とある深夜番組では、これを利用して「空耳アワー」なんてのをやっていたりもします。
そしてこれは言葉の聞き取りだけに起こることではありません。新しいものに触れたとき、それをあるがままに受け取るのではなく、自分が前から知っているものに知らず知らずのうちにひきつけて解釈してしまうということは、ほかの事柄でもよく起こることです。そしてこれは、「誤解」のもとになります。
このような誤解は防ぐことができればそれに越したことはありません。ですが、誤解を防ぐのに、ただ単に「誤解しないように気をつけましょう」と言っても、ほとんど効果はありません。誤解を防ぐのにまず必要なことは、誤解のもとになる「自分が前から知っていること」がどのようなものかを明らかにすることです。それはまた、比較文化を勉強することの第一歩でもあるのです。
なんだかテレビのコマーシャルの話からとんでもなく大げさな話になってしまいましたね。では、この続きはさらに大げさな話にしましょう♪