私が苦手なタイプの文章について(2)

例によって例のごとく、やらなければいけないことはあるのですが、夏のつらさから未だに立ち直れず、諸事低調でなかなか進まない私です。こんにちは。

早く爽やかな五月晴れのゴールデンウィークにならないかなあ。

 

以下、思い出したので書いておくことにします。

言うまでもなく、次のような文章も、私は苦手です。

問題:神戸市外国語大学の最寄り駅は何駅ですか。

答え:

三宮から地下鉄西神・山手線西神中央行きに乗って25分ほどのところです。

学園都市駅の周辺は整備が進んでいて、学校、スーパー、銀行、郵便局などがあり、日常生活の中での一通りの用事は済ませることができるようになっています。

こういう感じの学術的な文章は実在します。わりとよく。えらい研究者の文章でも。

そして、「神戸市外国語大学の最寄り駅は学園都市」ということが読みとれないと、あるいは、著者は「神戸市外国語大学の最寄り駅は学園都市」と言ってるのだと解釈しないと、読んでる方の読解力が低いみたいに思われたりすることもあります。

なかなかつらいです。

私が苦手なタイプの文章について

例によって例のごとく、やらなければいけない仕事は色々あるのですが、暑さのせいもあってなかなか進まない私です。こんにちは。

早く爽やかな五月晴れのゴールデンウィークにならないかなあ。

 

いまかりに、次のような算数の問題があったとします。

太郎さんは、学校の近くのお店で豆乳を3こ買いました。その後、家の近くのお店で豆乳を5こ買いました。さて、太郎さんは合わせて豆乳を何こ買いましたか。

これに対して、次のように答えたら、不正解になりますよね。残念ながら。

しき:8+3=11

こたえ:11こ

こういうお子さんに出会った時、学校の先生はどのように対応するのでしょうか。親御さんから相談されたら、どのように答えるのでしょうか。

「大丈夫です。お子さんはちゃんと分かっていますから、心配しないでいいです」みたいに答えたりするのでしょうか。まあたしかに、ある意味「分かっている」には違いないのですが。

それはそうと、これと似たようなのって、学術的な文章でもあるのですよね。

「まさか」と思われるかもしれません。では、学術的とは言えませんが、次のような問いと答えのペアはどうでしょうか。

問題:神戸市外国語大学の最寄り駅は何駅ですか。

答え:学園都市駅の周辺は整備が進んでいて、学校、スーパー、銀行、郵便局などがあり、日常生活の中での一通りの用事は済ませることができるようになっています。

こういう感じの学術的な文章は実在します。意外といえば意外ですが、(でも私にはそれほど意外という感じはないのですが、)入門書的な文献で見かけたりします。具体的な例はさすがにここには挙げませんが。

このような文章の特徴は、次のように言うことができます。

  • 結論あるいは主張として提示すべきことを、前提として提示している。そして、その前提に見合った新たな主張を提示している。
  • その結果、問いに対して答えることをせず、 問いから連想された、自分の書きたいことを書いている。

 

それでは、次のようなのはどうでしょうか。

太郎さんは、学校の近くのお店で豆乳を3こ買いました。その後、家の近くのお店で豆乳を5こ買いました。さて、太郎さんは合わせて豆乳を何こ買いましたか。

しき:3+5

こたえ:  

これと似たようなのも、学術的な文章に、あります。

例によって学術的とは言えませんが、次のような問いと答えのペアはどうでしょうか。

問題:神戸市外国語大学の最寄り駅は何駅ですか。

答え:三宮から地下鉄西神・山手線西神中央行きに乗って25分ほどのところです。

たしかにこの答えの通りに行けば学園都市の駅に着きます。ですが、この場合は、はっきりと「学園都市駅です」と答えてほしいところですよね。

こういう感じの学術的な文章は実在しますよね。

このような文章の特徴は、次のように言うことができます。

  • 結論あるいは主張に至る道筋は示しているが、結論・主張それ自体は提示していない。

 

言うまでもなく、ここに挙げたようなタイプの学術的な文章が、私は苦手です。

認知言語学会でのご発表について(本文)

9月の4日から5日にかけてオンラインで開かれた日本認知言語学会のとある発表で、私の昔の論考が本格的に取り上げられました。その発表とは、朝本美波さんと谷口一美さんによる「Moving Time の経験基盤に関する実証的研究」で、取り上げられた論考は、2011年に大学の紀要に掲載された「時空間メタファーの経験的基盤をめぐって」です。発表の内容は、一言で言ってしまえば、論考で私が主張した時空間メタファーについてのME一元論を実験的に検証する、というものです。

これについて、まずは取り上げてくださったことに感謝したいと思います。そして以下に、いくつか考えたことを書いておきたいと思います。

 

まず全体として、この発表は私の主張の内容を的確に理解されたうえで検証を進めていると思います。その点、特に感謝しています。

 

理論的な面について言うと、この発表で言われているME/MT多元論の矛盾については、実はMoore自身もどこかで言っていたように思います。(あらためて確認してはいないのですが、おそらくは 2011/2013 だったと思います。)そしてそのMooreの議論は、私には、McTaggartが提示しているA系列の矛盾についての議論と、同じくMcTaggartが提示している「時間が実在しないものだとしたら、我々が時間と思っているものの正体は何なのか」についての議論を踏まえたもののように思われました。ただ、矛盾を認識したうえで、新たにMooreが提唱しているMTのメカニズムについては、私はよく理解できませんでした。

 

一元論が主観性あるいは主体性についての理論を踏まえているというのは、ご指摘の通りです。実は今、「2005年の拙著で時空間メタファーについて触れたところで、それに関連することを言っていた」と書こうとしたのですが、確認したところ、そのようなことは言っていなかったようです。そして2011年の拙稿ではそれは前提としてしまっています。あれを書いたときには、2005年に言ったと思い込んでいたのかもしれません。

そして、一元論と主体性についての理論に、いわゆる「事態把握」の議論を組み合わせると、次の予測ができます。「日本語は(英語に比べて)MT表現が優勢、英語は(日本語に比べて)ME表現が優勢」。今回のご発表では英語については触れられていませんが、データから(おそらく一貫して)読み取れる「日本語はMT表現が優勢」という点に関しては、予測に合致しています。

 

実験の詳細についての議論に関しては、質疑応答で言われたこと以上のことは私も言えません。ただ、一つ興味があるのは、条件2です。これについて、「p<.10では有意差ありとは言えない。有意傾向と言うにとどめるべきだ」という指摘がありましたが、日本語が基本的にMT優位の言語であることを考えたとき、いったいどれくらいの差(あるいは、どういう差)があれば有意差があると言えるのだろうか、ということに興味を持ちました。ただ、私は統計のことは全く分からないので、完全な素人の興味ですが。

 

私には、Boroditskyの実験結果が多元論を支持しているようには見えません。Boroditskyに限らず、move the meeting forwardの解釈に基づく議論は、一元論と多元論の当否を判断する根拠にはならないと私は考えています。そう考える理由を説明しはじめると長くなりすぎるので、ここではやめておきますが。

また、「英語は多元論」と主張する場合、「多元論には論理的な矛盾がある」という主張と両立が可能なのか、ということも疑問です。

質疑応答で大神さんが、自分も英語は多元論なのではないかという気がしている、というふうに仰っていたかと思いますが、実は大神さんが言及された例も一元論で説明することが可能です。それについても、書くと長くなるのでやめておきますが。

 

以上、ご発表に関連して考えたことを書かせていただきました。

 

文献

  • McTaggart, John McTaggart Ellis (1908) The Unreality of Time, Mind: A Quarterly Review of Psychology and Philosophy 17, pp. 457-474.
  • Moore, Kevin Ezra (2011) Frames and the Experiential Basis of the Moving Time Metaphor, Constructions and Frames 3-1, pp. 80-103. (2013年刊行のFried and Nikiforidou (eds.) Advances in Frame Semantics (John Benjamins)に再録。)

認知言語学会でのご発表について(予告)

一昨日から昨日にかけてオンラインで開かれた認知言語学会のとある発表で、私の昔の論考が本格的に取り上げられました。その発表とは、朝本美波さんと谷口一美さんによる「Moving Time の経験基盤に関する実証的研究」で、取り上げられた論考は、2011年に大学の紀要に書いた、「時空間メタファーの経験的基盤をめぐって」です。発表の内容は、一言で言ってしまえば、論考で私が主張した時空間メタファーについての MT/ME 一元論を実験的に検証する、というものです。

この発表について、いくつか考えたことを書いておきたいと思っているのですが、諸事情により、公開は明後日9/8の夜以降にしたいと思います。

ということで、とりあえず今日は予告だけ書いておきます。

事態把握の研究についての信頼できる概説

事態把握の研究からは事実上撤退してしまった私ですが、今の時点でお勧めできる概説があるとしたら、この本の第1章がたいへん素晴らしく、かつありがたいです。

もともとフォーマルなアプローチをきっちりやってらして論理的にしっかりした文章が書け、なおかつ英語についての理解も深い先生が手際よくまとめてくださった概説で、読んだときに、ああ、私が以前やっていたことはこんなに立派なことだったのか、と自分でも驚いてしまいました。

ということで、今の時点での信頼できる概説として、お勧めいたします。

現実逃避は堂々と

やらなければいけないことはいろいろあるのですが、今日(24日)はすべて放り出してこの本を読んでいました。

この作者氏は研究業界についての理解が適切なので、リアリティを感じながら読めて楽しいです。