ギャバガイ問題ふたたび:問題提示におけるギャバガイ問題
皆さんこんにちは。最近のゴールデンウィークは梅雨と区別が付かなくて、ただただ嘆かわしい思いの私です。
さて、以前、「テクニカルタームの解説におけるギャバガイ問題」(https://shunpei.hatenablog.com/entry/2024/07/07/213520)という記事を書きましたが、今回はそれと関連する話です。
皆さんは、次のような文章に出会ったら、どう思われますか?
太郎は、直立不動の姿勢を続けている。
同じ問題は、次郎の姿勢にも見られる。
私だったら、このような文章を見たら、次のように思います。
「同じ問題」とは、具体的にどのような問題か。
直立不動の姿勢を続けることの何が問題なのか。
あるいは、直立不動の姿勢を続けることの何が問題だと、この著者は考えているのか。
ここは、次のような書き方にしてほしいところです。
ここは、座っていた方がいい場面である。だが、太郎は、直立不動の姿勢を続けている。
同じ問題は、次郎の姿勢にも見られる。
実は、このような文章は、学術論文にも見られるものです。
太郎は、ホニャララはヘラヘラだと主張している。
同じ問題は、次郎の議論にも見られる。
これについても、私は次のように思います。
「同じ問題」とは、具体的にどのような問題か。
ホニャララはヘラヘラだという主張の何が問題だと、この著者は考えているのか。
ここは、やはり、次のように書いてほしいところです。
太郎は、ホニャララはヘラヘラだと主張している。
ホニャララはヘラヘラだという主張は、ブリブリがザエモンだという帰結に繋がるが、この帰結は誤りである。
同じ問題は、次郎の議論にも見られる。
論文内で、問題がある(と著者が考える)他人の議論を紹介したものの、「その議論のどういう点が問題なのか」についての著者の見方を書かないでいると、読者の中には問題点(についての著者の考え)を特定することができずに、上のような疑問を抱く人もいます。これは一種の「ギャバガイ問題」と言っていいと思います。
もちろん、「何が問題なのか」「何が問題だと著者は考えているのか」が明記されていなくても、著者と読者の間に共有されていると想定される知識に照らし合わせれば、明らかな場合もあるでしょう。たとえば次のように。
太郎は、地球がゴキブリホイホイの形をしているということを前提にして、議論を進めている。
同じ問題は、次郎の議論にも見られる。
こういう場合はいいでしょう。
また、「何が問題なのか」「何が問題だと著者は考えているのか」が明記されていなくても、「理解力のある」読者は、「分かる」こともあるのでしょう。実はこちらは厄介です。「何が問題なのか」「何が問題だと著者は考えているのか」についての読者の推測が、著者の考えていることと一致する保証がないからです。それが「ギャバガイ問題」ということです。
というわけで、私としては、論文内で、問題がある(と著者が考える)他人の議論を紹介したら、それについて「その議論のどういう点が問題なのか」についての著者の見方を明示してほしいと思うわけです。
どうして私がこのようなことを書いているかというと、それはおそらくはお察しのとおりで、わりと最近、そのような論文に出会ってしまったからです。例によって具体的な文献情報を挙げることは控えさせていただきますが。
という感じです。
今日はここまで。また、機会がありましたらお目にかかりましょう。
ゼノンのパラドクスと、先行研究などの批判の作法
諸般の事情により大学の業務が激減して、時間ができた私です。こんにちは。
大学の仕事はなくても、他にやらなければいけないことはあるのですが、まあそれはいいとして。
今回は、ゼノンのパラドクスとの関連で、以前から考えていることを書いておきたいと思います。
「ゼノンのパラドクスとは何か」については、今さら私が説明するようなことでもないと思います。いちおうウィキペディア先生にリンクを貼っておきます。とりあえずは、このリンク先の「アキレスと亀」の話を思い出していただければと思います。
この
議論その1:
走ることの最も遅いもの(たとえば亀)ですら最も速いもの(たとえばアキレス)によって決して追い着かれないであろう。なぜなら、追うものは、追い着く以前に、逃げるものが走りはじめた点に着かなければならず、したがって、より遅いものは常にいくらかずつ先んじていなければならないからである。
(上のリンク先から引用。カッコ内は引用者による補足)
という議論に対して、次のような批判を提示したら、どのように評価されるでしょうか。
議論その2:
議論その1は誤りである。なぜなら、アキレスと亀を上のリンク先の条件で走らせたら、アキレスはあっという間に亀に追いつき、追い抜くからだ。
この批判は、少なくともこれで完結したものをとして提示された場合には、好意的な評価は得られないでしょう。おそらくは次のようなコメントがされると思います。
議論その3:
(そんなことは最初から分かっている。)問題は、議論その1が、事実としては明らかに誤りなのに、論理的には正しいように見えるということなのだよ。だから、議論その1が実際には誤りなのに見た感じは正しいように見えるのはなぜなのかを明らかにするべきなのだ。あるいは、議論その1のどこがどのように誤りなのかを、論理の内部構造に立ち入って明らかにしないといけないのだ。議論その2はそれをしていないわけで、だから議論その1への批判としては不十分なのだ。
さて、ここまでお読みなった皆さんは、今日のこのブログ記事のタイトル「ゼノンのパラドクスと、先行研究などの批判の作法」をあらためてご覧になって、私が今何を言いたいかが大体お分かりになったのではないかと思います。
学術研究における先行研究に対する批判に、次のようなものがあります。
議論群その4:
- 4-1:「○○氏の議論には△△という事実が反例になる。だから、○○氏の議論は誤りである。以上で○○氏の議論の検討終わり。」
- 4-2:「□□氏の議論は××という実験結果によって反証されている。だから□□氏の議論は誤りである。以上、□□氏の議論の検討、完了。」
言うまでもなくこれは、議論その2と同じ論理構造です。したがって、これについては次のようなことが言えると思います。
議論その5:
たとえば議論その4ー1は、△△という事実が反例として有効である限りにおいて、批判として有効ではある。ただし、「△△という事実が反例になってしまうのは、○○氏の議論のどのような欠陥によるものなのか」あるいは「どのような仕組みで、そのような反例が生まれてしまうのか」が明らかにされなければ、批判として完成してはいない。これができなければ、パラドクスを成立させただけで終わるのだ。
逆に、それができれば、△△という事実が○○氏の議論に対する反例として有効であるということも示すことができ、批判として完成する。
議論その4ー2も同様。
先行研究への批判はそのようなものであってほしい、と、議論その4ー2のレベルの批判を実際に受けている私としては思うわけです。(誰のどの論文かを名指しするのは控えさせていただきます。)
そして、今日のタイトルをもう一度見ていただくと、「先行研究など」となっています。この「など」とは具体的に何かと言うと…
たとえば学内業務で何か意見なり主張なりを提示したときに、議論その2あるいは議論群その4のレベルの回答で却下されると、いささかストレスになるのですね。「こちらの意見・主張のどこがどのように間違っているのか、論理構造に立ち入ってしっかり論破してほしい」と思ってしまうのです。
こんなことを言うと、「めんどくさっ!」「そんなもの必要ない」と思われるかもしれません。ですが、私のこれまでの経験からすると、こちらの間違いを論理的に示していただけたときには、少なくとも私の場合は、反発の気持ちは起こらず、むしろ心地よさを感じることもありますし、「この人は頭のいい人だなあ」と思ったりもするのです。
もちろん、「など」の範囲は学内業務に限らないわけですが。
ということで、今日はこの辺で。
テクニカルタームの解説におけるギャバガイ問題
学術論文とか口頭発表とか授業とかでテクニカルタームの解説をするとき、その解説の仕方には少なくとも2通りのやり方があります。一つは、概念的な定義を提示するやり方、もう一つは、その術語に該当する具体事例を挙げるやり方です。両方同時にやることも、もちろんあります。
そして中にはもちろん、具体事例だけを挙げて概念的な定義は一切示さない、というやり方をする人もいます。そういう人は、「難しい定義を言うより、具体事例を見てもらった方が分かりやすいから」と言ったりするのですが、少なくとも私の場合、そのような解説に出会うと、「……?? 全然わからない ……」となってしまうことが多いです。
それはなぜでしょうか。
それは、少なくとも私の場合、そのような説明からはギャバガイ問題が発生してしまうからです。
ギャバガイ問題についての説明はここでは省略しますが、いずれにしても私の場合、「挙げられた事例には、いろいろな側面、いろいろな特徴がある。その中のどれに注目して理解したら、この術語についての適切な(解説者の意図に合う)理解ができたことになるのか、わからない。どこに目を付けたら、どこに注目したらいいのか……わからない、分からない、分からない…………??」となってしまうのです。
その術語が、研究対象となる現象(「被説明項」に当たるもの)を指すものであれば、まだ救いがあるように思います。(たとえば、「tough構文」とか。)ですが、現象に対する説明の道具立て(「説明項」に当たるもの)を指す術語の解説で、「具体事例を挙げるだけで、概念的な定義は一切提示しない」という形のものに出会うと、私の場合、本当に途方に暮れてしまうのです。
「説明項に当たる道具立てを指す術語の解説で、具体事例を挙げるだけで、概念的な定義を一切提示しない形のもの」の具体事例を挙げるのは、差し障りもあるので差し控えさせてください。例がないのでこの文章自体が分かりにくくなっているかもしれませんが、それについてはごめんなさい。
私が苦手なタイプの文章について(2)
例によって例のごとく、やらなければいけないことはあるのですが、夏のつらさから未だに立ち直れず、諸事低調でなかなか進まない私です。こんにちは。
早く爽やかな五月晴れのゴールデンウィークにならないかなあ。
以下、思い出したので書いておくことにします。
言うまでもなく、次のような文章も、私は苦手です。
問題:神戸市外国語大学の最寄り駅は何駅ですか。
答え:
三宮から地下鉄西神・山手線の西神中央行きに乗って25分ほどのところです。
学園都市駅の周辺は整備が進んでいて、学校、スーパー、銀行、郵便局などがあり、日常生活の中での一通りの用事は済ませることができるようになっています。
こういう感じの学術的な文章は実在します。わりとよく。えらい研究者の文章でも。
そして、「神戸市外国語大学の最寄り駅は学園都市」ということが読みとれないと、あるいは、著者は「神戸市外国語大学の最寄り駅は学園都市」と言ってるのだと解釈しないと、読んでる方の読解力が低いみたいに思われたりすることもあります。
なかなかつらいです。
私が苦手なタイプの文章について
例によって例のごとく、やらなければいけない仕事は色々あるのですが、暑さのせいもあってなかなか進まない私です。こんにちは。
早く爽やかな五月晴れのゴールデンウィークにならないかなあ。
いまかりに、次のような算数の問題があったとします。
太郎さんは、学校の近くのお店で豆乳を3こ買いました。その後、家の近くのお店で豆乳を5こ買いました。さて、太郎さんは合わせて豆乳を何こ買いましたか。
これに対して、次のように答えたら、不正解になりますよね。残念ながら。
しき:8+3=11
こたえ:11こ
こういうお子さんに出会った時、学校の先生はどのように対応するのでしょうか。親御さんから相談されたら、どのように答えるのでしょうか。
「大丈夫です。お子さんはちゃんと分かっていますから、心配しないでいいです」みたいに答えたりするのでしょうか。まあたしかに、ある意味「分かっている」には違いないのですが。
それはそうと、これと似たようなのって、学術的な文章でもあるのですよね。
「まさか」と思われるかもしれません。では、学術的とは言えませんが、次のような問いと答えのペアはどうでしょうか。
問題:神戸市外国語大学の最寄り駅は何駅ですか。
答え:学園都市駅の周辺は整備が進んでいて、学校、スーパー、銀行、郵便局などがあり、日常生活の中での一通りの用事は済ませることができるようになっています。
こういう感じの学術的な文章は実在します。意外といえば意外ですが、(でも私にはそれほど意外という感じはないのですが、)入門書的な文献で見かけたりします。具体的な例はさすがにここには挙げませんが。
このような文章の特徴は、次のように言うことができます。
- 結論あるいは主張として提示すべきことを、前提として提示している。そして、その前提に見合った新たな主張を提示している。
- その結果、問いに対して答えることをせず、 問いから連想された、自分の書きたいことを書いている。
それでは、次のようなのはどうでしょうか。
太郎さんは、学校の近くのお店で豆乳を3こ買いました。その後、家の近くのお店で豆乳を5こ買いました。さて、太郎さんは合わせて豆乳を何こ買いましたか。
しき:3+5
こたえ:
これと似たようなのも、学術的な文章に、あります。
例によって学術的とは言えませんが、次のような問いと答えのペアはどうでしょうか。
問題:神戸市外国語大学の最寄り駅は何駅ですか。
たしかにこの答えの通りに行けば学園都市の駅に着きます。ですが、この場合は、はっきりと「学園都市駅です」と答えてほしいところですよね。
こういう感じの学術的な文章は実在しますよね。
このような文章の特徴は、次のように言うことができます。
- 結論あるいは主張に至る道筋は示しているが、結論・主張それ自体は提示していない。
言うまでもなく、ここに挙げたようなタイプの学術的な文章が、私は苦手です。
認知言語学会でのご発表について(本文)
9月の4日から5日にかけてオンラインで開かれた日本認知言語学会のとある発表で、私の昔の論考が本格的に取り上げられました。その発表とは、朝本美波さんと谷口一美さんによる「Moving Time の経験基盤に関する実証的研究」で、取り上げられた論考は、2011年に大学の紀要に掲載された「時空間メタファーの経験的基盤をめぐって」です。発表の内容は、一言で言ってしまえば、論考で私が主張した時空間メタファーについてのME一元論を実験的に検証する、というものです。
これについて、まずは取り上げてくださったことに感謝したいと思います。そして以下に、いくつか考えたことを書いておきたいと思います。
まず全体として、この発表は私の主張の内容を的確に理解されたうえで検証を進めていると思います。その点、特に感謝しています。
理論的な面について言うと、この発表で言われているME/MT多元論の矛盾については、実はMoore自身もどこかで言っていたように思います。(あらためて確認してはいないのですが、おそらくは 2011/2013 だったと思います。)そしてそのMooreの議論は、私には、McTaggartが提示しているA系列の矛盾についての議論と、同じくMcTaggartが提示している「時間が実在しないものだとしたら、我々が時間と思っているものの正体は何なのか」についての議論を踏まえたもののように思われました。ただ、矛盾を認識したうえで、新たにMooreが提唱しているMTのメカニズムについては、私はよく理解できませんでした。
一元論が主観性あるいは主体性についての理論を踏まえているというのは、ご指摘の通りです。実は今、「2005年の拙著で時空間メタファーについて触れたところで、それに関連することを言っていた」と書こうとしたのですが、確認したところ、そのようなことは言っていなかったようです。そして2011年の拙稿ではそれは前提としてしまっています。あれを書いたときには、2005年に言ったと思い込んでいたのかもしれません。
そして、一元論と主体性についての理論に、いわゆる「事態把握」の議論を組み合わせると、次の予測ができます。「日本語は(英語に比べて)MT表現が優勢、英語は(日本語に比べて)ME表現が優勢」。今回のご発表では英語については触れられていませんが、データから(おそらく一貫して)読み取れる「日本語はMT表現が優勢」という点に関しては、予測に合致しています。
実験の詳細についての議論に関しては、質疑応答で言われたこと以上のことは私も言えません。ただ、一つ興味があるのは、条件2です。これについて、「p<.10では有意差ありとは言えない。有意傾向と言うにとどめるべきだ」という指摘がありましたが、日本語が基本的にMT優位の言語であることを考えたとき、いったいどれくらいの差(あるいは、どういう差)があれば有意差があると言えるのだろうか、ということに興味を持ちました。ただ、私は統計のことは全く分からないので、完全な素人の興味ですが。
私には、Boroditskyの実験結果が多元論を支持しているようには見えません。Boroditskyに限らず、move the meeting forwardの解釈に基づく議論は、一元論と多元論の当否を判断する根拠にはならないと私は考えています。そう考える理由を説明しはじめると長くなりすぎるので、ここではやめておきますが。
また、「英語は多元論」と主張する場合、「多元論には論理的な矛盾がある」という主張と両立が可能なのか、ということも疑問です。
質疑応答で大神さんが、自分も英語は多元論なのではないかという気がしている、というふうに仰っていたかと思いますが、実は大神さんが言及された例も一元論で説明することが可能です。それについても、書くと長くなるのでやめておきますが。
以上、ご発表に関連して考えたことを書かせていただきました。
文献
- McTaggart, John McTaggart Ellis (1908) The Unreality of Time, Mind: A Quarterly Review of Psychology and Philosophy 17, pp. 457-474.
- Moore, Kevin Ezra (2011) Frames and the Experiential Basis of the Moving Time Metaphor, Constructions and Frames 3-1, pp. 80-103. (2013年刊行のFried and Nikiforidou (eds.) Advances in Frame Semantics (John Benjamins)に再録。)
認知言語学会でのご発表について(予告)
一昨日から昨日にかけてオンラインで開かれた認知言語学会のとある発表で、私の昔の論考が本格的に取り上げられました。その発表とは、朝本美波さんと谷口一美さんによる「Moving Time の経験基盤に関する実証的研究」で、取り上げられた論考は、2011年に大学の紀要に書いた、「時空間メタファーの経験的基盤をめぐって」です。発表の内容は、一言で言ってしまえば、論考で私が主張した時空間メタファーについての MT/ME 一元論を実験的に検証する、というものです。
この発表について、いくつか考えたことを書いておきたいと思っているのですが、諸事情により、公開は明後日9/8の夜以降にしたいと思います。
ということで、とりあえず今日は予告だけ書いておきます。
YouTube の動画で言及されていました。
コメントはできるだけ早く、近日中にしたいと思います。
事態把握の研究についての信頼できる概説
事態把握の研究からは事実上撤退してしまった私ですが、今の時点でお勧めできる概説があるとしたら、この本の第1章がたいへん素晴らしく、かつありがたいです。
もともとフォーマルなアプローチをきっちりやってらして論理的にしっかりした文章が書け、なおかつ英語についての理解も深い先生が手際よくまとめてくださった概説で、読んだときに、ああ、私が以前やっていたことはこんなに立派なことだったのか、と自分でも驚いてしまいました。
ということで、今の時点での信頼できる概説として、お勧めいたします。