2012-10-01から1ヶ月間の記事一覧

「端的に「無」」から「欠如」へ vs. 「欠如」すなわち「端的に「無」」

昨日の補足。携帯電話とかの場合はもともと「端的に「無」」だった(←だれにとっても)のがある時期から「欠如」になった(←当事者以外の人の観点から)のに対して、神経細胞の異変による視野の欠損とかは「欠如」(←当事者以外の人の観点から)すなわち「端…

「端的に「無」である」ということ。

ちょっと前に、これ(↓)を読んで思ったこと。 http://pooneil.sakura.ne.jp/archives/permalink/001414.php 欠如は「欠如」として対象化されて認識されるのものではない。欠如は「対象として認識される範囲」の外にある。というか、その境界を構成するもの…

「主客合一」のパラドクス

「主客合一」という言葉は、実はこれ自体、「主」と「客」が(もともと)別であるという概念構造にもとづいて成立している表現なのですよね。

明日のことを考えながら今日を生きる。

「明日のことを考えながら今日を生きる」ということは、本当に当たり前すぎてだれも言わないことですが、非常に大事なことです。私たちの場合、これをおろそかにするのは職業倫理に反すると言っても過言ではないくらいです。なので、今から明日の授業の準備…

Lakoff and Johnson が教科書になった。

http://www.shohakusha.com/detail.php?id=b0000000679『メタファに満ちた日常世界』というタイトルの訳はいい訳だと思います。