うなずきの理由と帰属理論

今から3年前の話。前任校の学内研究会で研究発表をしたとき、『英語青年』の記事のコピーを配って「能力可能と状況可能の区別は要するに原因帰属なんです」みたいなことを言ったところ、心理学の某先生がうんうんと大きくうなずいていて、それが妙に印象に残っていたのですが…

それはつまり、50年以上前に出た、社会心理学で帰属理論の古典とみなされる本で、「CAN」の分析が提示されていて、そのことが社会心理学の概説的な文献でも言及されていたりするので、あの先生はそのことを知っていたということなのですかな。

ちなみに、日本語の実現可能の「できた」がもつ、とある性質が、ストレートな帰属理論による説明と、「いでく」の本来の意味に動機づけを求める説明と、両方可能だということに思い至りました。

後者の説明だと、「できた」が英語の could より広く使えることが予測されます。でも、「できた」だけでなく「会えた」など、可能表現全般がおなじ性質を示すことが問題となります。

前者の説明だと、「できた」と could の違いは別個に説明しなければならなくなります。

う〜んどちらが正しいのだろう。もしかして両立可能なのだろうか。