ということは

理論的な道具立てを勉強することと、事実に対する洞察力を鍛えることは別だ、ということでもあります。

事実に対する洞察の力を鍛えないと、理論の道具立ては「記述のための便利なメタ言語」で終わる可能性もある。

とくに認知言語学では言語知識のモジュール性を想定しないため、道具立てが言語以前の認知構造に基づいて作られるのが普通です。つまり、道具立てを勉強することと言語事実を見る目を作ることが別のレベルの話になる可能性がある。

あと、認知言語学とは別に、フォーマルな記述を重んじる学派でもそれはある。

何が言いたいかというと、「すでに分かっていることをキレイに清書しただけの研究」というのも世の中にはある、ということです。