コミュニカティブな文法

いえ別に「実用」を狙った「使える」英文法の本とかとは関係なく。

共同注意概論改訂中。

一語文とか現象描写文とかは「情意」を伝えることができるわけですが、この「情意」というのは、もともとは言語形式にはりついた、しにふぃえとしての意味ではなく、共同注意という行為の中で伝わるものだ、ということ。一語文とか現象描写文を発話することは、注意を誘導するという行為なのだ、ということをはっきりさせる方向で書き直し中。

なんかまた、さだのぶ先生みたいな方向に進んでいる感じ。「記号としての言語」の向こうにある、「行為としての言語」という方向に。

ただし、「情意」が、慣習化して記号内容(しにふぃえ)に組み込まれていく可能性も否定するわけではないけど。トラウゴット氏的な見方も入れておく。とくに、英語の進行形の場合とか。


http://d.hatena.ne.jp/shunpei/20090325#p1