Grady批判についての覚書

primary metaphor論に関して指摘されている問題点は、理論構成に関して言えば、「(イメージメタファーとGeneric as Specificメタファーをのぞいては)共起性のみを見ている」と「要素還元主義的な見方ないし構成性原理の復活形である」ということか。それはその通りのようだ。

そこで疑問。Gradyはなぜそのような見方をしてしまったのだろう。つまり、共起性のみを見てしまったのはなぜか、そして、要素還元主義を復活させてしまったのはなぜか。どちらも認知意味論の基本的な意味観に関わっているはずなのに。「とくに理由はない」のか。それとも「何らかの哲学的な立場と関係がある」のか。とくに前者の問題。

そして、Grady批判で取り上げられていない(←管見の範囲で)論点については、どのようになっているのか。また、Gradyが提起した問題のうち、あまり言及されないあの点は、今のメタファー論ではどう扱われているのか。いつかの鍋島さんの話では言及されていたかな?