``image schema''とは何か?


``image schema''って用語、人によって全然違う意味で使ってるみたいなんだけど、``image schema''って、いったい何!?


みたいな疑問をしばらく前までの私は抱いていたのですが、いつの間にか抱かなくなってしまいました。今の私は、これについて次のように考えています。

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「``image schema''とは何か?」を明らかにしようとすることには意味がない。

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まったくミモフタモナイ答えです。というか、次のように思われるかもしれません。

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なんで意味がないと考えるのか。``image schema''という用語の意味が人によって違うということについては、どうすればいいというのか。

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それについての私の考えは次のようなものです。

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``image schema''という用語でそれぞれの論者が何を捉えようとしているのかを明らかにすべき。

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つまり、次のような見方はしない、ということです。

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``image schema''と名づけられうるものがヒトの経験世界に(個々の研究者からは独立に)存在していて、各研究者はそれがどのような性質のものであるかを明らかにしようとしている。

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このような見方はしないかわりに、次のように考えます。

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``image schema''という用語で、研究者Aはヒトの経験世界の構造のある部分を捉えようとしていて、研究者Bは別のある部分を捉えようとしている。

このように、ヒトの経験の構造の中で捉えようとしている部分はA氏とB氏で実は異なるのだけど、(なぜか?)本人たちは同じものを捉えていると信じている。

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もちろんこれは、次のことを意味しません。

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``image schema''と呼ばれる構造は各研究者の純粋な理論的な構築物であって、実在するものではない。

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私は基本的実在論を前提としてものを考えているので、ヒトの経験世界は構造を持つと考えます。ただ、その構造のどの部分にどのような観点から注目するかが個々の研究者によって違うということです。

そしていちばん問題が大きいのは、「AさんとBさんは同じものを捉えようとしている」という前提のもと、両者の違いを無視して、2つの両立困難な特性を持つものを``image schema''と呼び、自分の議論の文脈によってどちらの面に注目するかを使い分ける、という姿勢です。