be going to

ずうっと昔、be going to という表現をねたに修論を書いたとき、この表現が CAN でパラフレーズできる例があることを知って驚いたことがあります。be going toがなんで可能表現としての解釈を持ちうるのか、そのときはよく分かっていませんでした。

# 「語用論」とかって言えばとりあえず分かった気にはなれるんだろうけど。
# でも will は可能表現にならないと思うわけで、その違いがどうやって
# でてくるかは、「語用論」の一言では疑問として残る。

で、それが最近分かったわけです。そういうことだったのね。

ちなみにこの説明は、be going to が空間から時間へのメタファーだ、という見方に決定的に依存しています。メタファー説を採らないアプローチとは相性の悪い考え方です。

ということで、修論のときのデータを見直してみたいなあ、などと思ったりもするのですが、いかんせん、私のパソコンのハードディスクは2003年の秋、例の本の執筆中にぶち壊れて、そのときデータが全部消えてしまったのです。そして論文本体は埼玉のおうち♪

う〜ん。やっぱり今月一度帰省しようかな。このためだけにでも。