KLSおまけ

KLS一日めについての感想。

研究発表でいちばん興味深かったのはやはり松本曜さんたちの発表。神戸は海と山が近くて町はその間の狭いところに帯状に広がっていて、空間表現に絶対的指示枠を使うとされる言語と類似の環境。そして実際「海側」「山側」という言葉もある。誰か調べないかな〜と前から思っていたのですが、実際、神戸(のどちらかというと東部?)では絶対的指示枠による表現が使われている、という結果。しかも神戸ネイティブと大阪出身の神戸在住者の比較もあって、大阪出身者は神戸在住期間が長くなるにつれて絶対的指示枠の習得が進んでいくのだけれども、習得の結果出てくる表現が神戸ネイティブとは明らかに違うという内容。

質疑応答で、京都とか札幌とかの、計画的に作った四角い街の住人の絶対的指示枠使用の話が出てきて、それも面白かった。

自分の発表について補足しておくと、あの発表には二つのメタメッセージがありました。

一つは、「現象を見る枠組みを自覚的に変えてみると今まで見えてなかったものが見えるようになるかもよ」ということ。もう一つは、「普通の認知意味論の道具立てに当てはめるのではなく、人がどのように世界を捉えているか、という問題に立ちもどって考える」ということ。

前者は、以前この日記に書いた「観察の理論負荷性」の問題でもあります。現象を見るだけではなく、現象を見ている自分を見る、ということ。

後者は、俗っぽい言い方をすれば「人の考えたことを鵜呑みにするのではなく、自分の頭で考えろ」ということになってしまうのかもしれませんが、実はこれはおそらく前者とつながってはじめて意味を持つもの。自分が人の考えたことに捕らわれているのか自分の頭で考えているのかを自覚するには、前者のようなメタ的なものの見方が不可欠。

ちなみに私自身に関して言うと、「自分の頭で考える」ということの意義を否定するつもりはありませんが、「自分の頭だけで考える」ということは不可能かつ無意味だと思っています。というのは、トマセロのratchet effectは研究の世界でも成り立つことだ、という意味です。

世の中には、地理的にも歴史的にもたくさんの研究者がいて、いろんなことを研究してきた人がいろいろいます。その中の優れたものに乗っかって考える方が、自分ひとりで最初から考えるよりも、はるかに生産的。「自分の頭で考えなさい」というのは、「誰の頭で考えるか、を自覚的に選択、ないし切り替え、しなさい」ということだというのが私の考えです。


http://d.hatena.ne.jp/shunpei/20090728#p1
http://d.hatena.ne.jp/shunpei/20100112#p1