メトニミーの力

今日3月10日は東京大学の合格発表だったとのこと。そしてすぐ後期試験ですか。

合格発表との関連で書かれたこちらのブログに、印象深い一節があったので書いておきます。


http://from-toyama.jugem.jp/?eid=536


 ------------ ここから引用 -----------------

こんな年齢になっても、1つしか受けることができなかった医学部(共通一次の最後の受験生です)を在来線特急3時間乗って合格発表の掲示を見に行って(そのころは、インターネット発表もなかったしね)、掲示板の周囲でガッツポーズをとる人の影で、下をむいていた自分が頭に残っています。本当に、うまくいかない時は、涙も出ないことを人生ではじめて知ったあの時。おそらく在校生と思う方々がクラブの勧誘をしていて・・・その中の、1人が、、また、来年、ここで、クラブの勧誘をさせてね・・・といったことがなぜか鮮明に思い浮かびます。結局、浪人せずに、別日程の公立薬学部へ進学したしので、その大学をもう一度受けることはなかったです。

今でも、その医科大の近くを通ると、胸がキュンとします。

 ------------ ここまで引用 -----------------


この中で特に印象に残るのが、私の場合、クラブの勧誘をしていた在学生の次の言葉なのです。



また、来年、ここで、クラブの勧誘をさせてね・・・


この言葉から、(少なくとも私の場合)次のような気持ちが読み取れます。


○ 来年もこの大学を受けてほしい。
○ そして来年こそは受かってほしいし、受かる可能性は現実的なレベルで、ある。
○ そして私たちの仲間になってほしい。


このようなことはもちろん、直接言われているわけではありません。すくなくとも、「受かる」「合格する」「仲間」「友だち」といった言葉は使われていません。

それにも関わらず、上の解釈はおそらくはそんなにはずれていないでしょう。これは、<大学の合格発表>とか<大学のクラブ>とかについて私がある程度の知識を持っていること、そしてそれが(おそらくは)このときの出来事に関係した人の持っている知識と重要な点で共通していること、によります。それは例えば、つぎのようなものを含んでいるでしょう。


○ 大学のクラブにはメンバー間に友人関係を成立させる効果がある。

○ クラブは新一年生に加入してもらうために勧誘を行うものである。

○ 合格発表会場には、その大学を受けた人が合否結果を知るためにやってくる。

○ 合格発表の場には合格者が多数いるので、4月の初めの時期と並んで、勧誘に適した場である。

○ ただし、合格発表の場には、不合格者もいる。

○ 勧誘の対象は不合格者ではなく合格者である。


<大学の合格発表><大学のクラブ>についてのこのような構造をもった(共有)知識の中で、「誰かにこの場でクラブの勧誘をする」ということは「その人がその大学を受ける」「そしてその人が合格する」「そしてその人を仲間に誘う」ということとつながるわけです。

なので上のような解釈がおそらくは成立するでしょう。

つまり「また、来年、ここで、クラブの勧誘をさせてね・・・」は認知言語学で言うメトニミーの例に当たるわけです。

そしてこの場合、「来年もこの大学を受けてほしい」「そして来年こそは受かってほしいし、受かる可能性は現実的なレベルで、ある」「そして私たちの仲間になってほしい」というのは、直接言葉にすることは難しいかもしれません。落ち込んでいる人をさらに落ち込ませるかもしれないし、わざとらしく聞こえるかもしれませんし。

直接言葉にするのではなく、メトニミーに支えられた推論を介して伝えることで、よりよく気持ちが伝わる、そういう気がします。

そういうものだったからこそ、ブログの筆者の先生が今でもこの言葉を鮮明に覚えていらっしゃるのだと思うのです。あくまでも私の推測ですが。

もちろん、このときの声の出し方、顔の表情、身体の動きなどの、身体的なものの大きく影響しているわけですが、それについては文字媒体であるブログでは分からないので、ここでは考慮しないことにします。

それから、その在学生がその時、頭の中で明確に上のようなことを自覚的に考えていたかというと、それはおそらく違うでしょう。もっとぼんやりと、あるいは「何となく」、あるいは直観的なものだった可能性が高いと思います。でも「後知恵」的に振り返った場合に、「そうかもしれない」「そう思ってたような気もする」となる可能性は高いと思います。

ということで、ここにはメトニミーの持つ力の一端が現れているような気がするのです。