毛色の違う本を2冊読みました。


〈弱いロボット〉の思考 わたし・身体・コミュニケーション


私の世界観に大きな影響を与えた岡田先生の本。一年遅れでようやく読みました。私にとって非常に心地よい本。

一言で言えば「関係論的ロボティクス」あるいは「状況論的ロボティクス」の本です。


動詞の「時制」がよくわかる英文法談義


英語の時制・相・法にかかわる現象を網羅的に取り上げて解説した本。例文が豊富で、かつ説明が分かりやすいです。恥ずかしながら、私の知らなかったこともいろいろと書いてありました。

今読んでる不思議な小説集

これ

文学の素養がない私にとっては「何やら面白い(実験?)小説集」という位置づけです。

読み始めたきっかけはアマゾンの内容紹介に興味をひかれたためですが、読み始めてみるとテーマだけでなく表現技法も楽しんでしまいました。

最近読んだ面白い本

『鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。』(川上和人 新潮社 2017)

翻訳不可能な面白さ。「翻訳不可能」とはどういうことか…それは読んでみれば分かります。私には書けないタイプの本。


『リバース』湊かなえ 講談社文庫 2017)

第三章の終わりで「彼女というのはあの人! そして後の方の事件の犯人はあの人! 根拠はすべて霊感!」という感じでピンときてしまい、その後は確証バイアスモードが混ざった読みになってしまってちょっと苦しかったのですが、それでも面白かったです。結果的に霊感は当たってましたが。

最後の一行がそれまでの問題の解決になっているのだけど、同時に新しい問題の始まりにもなっていて、それがとっても辛そう。

テレビドラマもあったようですが、そちらは見ていません。

最近読んだ面白い本

『豆の上で眠る』(湊かなえ、新潮文庫)

『わたしはヘレン』(アン・モーガン、熊井ひろ美訳、ハヤカワ・ミステリ文庫)

両方とも小説です。独立に書かれたものですが、あわせて読むと面白いと思います。

私がこういう本に魅かれるのは「自己」の問題から離れられていないことの現れかもしれません。

もうすぐ出る本

『構文の意味と拡がり』 (天野みどり・早瀬尚子編、くろしお出版

私の文章も載ります。日本語の連体修飾を扱ってます。このトピックで書いたのは、何と20年ぶりです。

みんな、買ってね♪

面白い本を見つけました。

『大人のための国語ゼミ』(野矢茂樹)

例によって読み始めたばかりですが、非常に面白いです。書かれていることは認知意味論の観点からも興味深いです。

読み終わったら少し詳しくコメントを書く予定でいます。

大学院授業でやっていること

院授業の進行が異様に遅い鴨です。こんにちは! 次回補講です。16週目ですよ!ははは。

「遅いのは授業だけじゃないだろう」ですか。ははh

それはそうと、今日は私が大学院の授業で何をやっているか、何を考えてああいう授業をやっているのか、振り返って書いておきたいと思います。


院授業の目標とは

うちの大学の大学院(の中の私がいるところ)に関する文書をいろいろ見ていると、うちでは院授業(特に修士授業)の目標として大きく次の3つが想定されているようです。

  1. 学生の研究能力の育成・向上
  2. 学生への、専門分野についての高度な知識の伝達
  3. 学生の英語力の向上

上の1番目を図るのが人文系大学院の伝統的なあり方なのでしょうが、近年さまざまな客観的な事情や関係者の思惑によって、2番目、3番目に重点をシフトしようという動きもあります。

ちなみに私の修士授業のシラバスは主に1番目に言及しつつ、各週の授業計画を見ると2番目もバランス良くやろうとしているのだな、と読めるようになっていると思います。

で、実際にやっていることは、というと…

進みが遅いということは、2番目は見えやすい形では達成できていないということです。ごめんなさい。ただ、進みが遅いとは言っても授業中さぼっているわけではありません。何かやっています。何をやっているかというと、それはまあ、1番目ということになるわけです。

で、1番目で何をやっているかというと、文献読みの実践、ということですな。

そしてそれが非常に遅い。でも、遅いのにはわけがある。そういうことです。


文献を読むということについての考え方

授業で文献を読むという時に何を目標とするか。あるいは何を求めるべきか。考え方は2つあると思います。

  1. 知識の獲得
  2. 文献の読み方の訓練

そして上の項目でも述べたことからも明らかかと思いますが、私が院授業で目標としているのは2番目の「文献の読み方の訓練」です。

そして「文献を読む」ということに関して、さらに2つの考え方があるように思います。それは

  1. コードモデル的な見方/容器メタファー(導管メタファー)的な見方
  2. 推論モデル的な見方

1番目の「コードモデル的な見方/容器メタファー的な見方」というのは、次のようなモデルです。

  • 文章は容器、イイタイコトは内容物。
  • 著者はイイタイコトという内容物を文章という容器に入れて読者に渡す。
  • 読むということは、容器から内容物を取り出して受け取ることである。
  • 読者がその内容物をすべて取り出して受け取ることができれば、その文章を完全に理解したことになる。

このモデルでは、読者は筆者のイイタイコトを混ぜ物のない純粋な形で受け取ることができるはずであり、また「100パーセントの完全な理解」と「100%ではない、さまざまな程度の不完全な理解」があることになります。

2番目の「推論モデル的な見方」というのは、次のような見方です。

(本当は「推論モデル的な見方」ではなくて「共同注意モデル」みたいなものを考えたいのですが、それは別の話なので今日はちょっと。)

  • 文章を読む際には、読者の既有知識や願望等の感情が自覚的か無自覚かは別として不可避的に理解に介入する。
  • 文章を理解するとは、読んだ内容を既有知識と関連づけ、自分の知識の枠組みの中に位置づけることである。

という感じ。

この見方では、読者がどのような既有知識を持っているかによって理解のあり方は変わることになります。また、筆者と読者が完全に同じ知識を持っているということはありえないので、筆者のイイタイコトが純粋な形で読者に受け止められることは原理的にありえないことになります。また、どこかの時点で100パーセントの完全な理解に達する、ということもありえなことになるでしょう。

また、書かれている内容と読者の既有知識の枠組みが齟齬を来す場合には、

  • そこのところは無自覚のうちに却下されて忘れられる
  • そこのところは無自覚のうちに既存の枠組みに合うように変容されて取りこまれる
  • 読者が(自覚的にあるいは無自覚のうちに)知識の枠組み自体を変容させることによってそこのところを受け止める
  • 読者が齟齬を認識しつつ自分の知識の枠組みとの関連づけを行う

などが起こります。

さらに、読解においてはwishful readingとでも言うべき現象(wishful thinkingのもじり)が起こるようです。それは「この筆者にはこういう考えであってほしい、この人にはこういうことを書いてほしい」という願望が無自覚にでもあると、実際にその著者がそのようなことを書いているかのように思えてしまう、ということです。

「ラネカーは言葉の意味を本質的に視覚的なものだと考えている」みたいに…

人間の文章理解には容器メタファー的な見方で捉えられる部分と推論モデル的な見方で捉えられる部分と両方の面があるわけでしょう。ただ、読むということに関して普通の人が素朴に持っている見方は、容器メタファー的な見方だけになりがちなのではないかと思います。なので授業とかで推論モデル的な見方が必要になる事例を見せると驚かれたりするわけです。

念のため付け加えておくと、推論モデル的な見方を理解のモデルに組み込むということは、「文章理解は何でもありだよ」と考えることではありません。文章の中で著者が何を言おうとしているかという意図を理解しようとする努力は必要です。推論モデル的な見方が言っているのは、「著者が何を言おうとしているかを歪めて理解して分かったつもりになるということは普通に起こることだから、そこは自覚しといた方がいいよ」ということです。


「大丈夫」という発言

以前、「「何か質問とかありますか?」と聞いたとき、「大丈夫です」と答えてほしくない。」と書きました。その記事と今日書いてきたことと合わせて考えれば明らかかと思いますが、「(この文献に関して)質問・コメントありますか」という問いかけに対して「大丈夫です」と答えるということは、文章理解に関して容器メタファー的な見方だけで考えている、ということの現れと言えるだろうと思います。しかしながら実際にはその人自身の頭の中で、推論モデル的な見方でしか捉えられないようなことも起こっているわけでしょう。

そして、容器メタファー的な見方だけで考えている人が「大丈夫」と答える時の、実際の理解のありようはどのようなものなのでしょうか。

断定的なことはもちろん言えないわけですが、何というか、「う〜ん」という感じ(どんな感じだ!?)はあります。


そして授業で文献を読むということ

そして私が院授業でどのように文献を読んでいるか、あるいはどのように文献を読みたいか、あるいはどういうことを自覚化したいか(学生に自覚してほしいか)ということをあらためてリストすると、次のような感じかなと思います。

  • 著者が何をやろうとしているのか/何を言おうとしているのかを著者の立場から理解する。
  • 著者が実際に何を言っているのかを明らかにする。あるいは著者が(言うべきであったのに)言っていないことを明らかにする。
  • 文章のある部分と別の部分の関連を考える。
  • 著者のロジックや事実認定に問題がないかを考える。問題がある場合には、何をどのようにしたらいいかを考える。
  • 著者がどのような学問的な背景を踏まえて議論をしているのか、あるいはどのような隠れた前提があるか、考えたりコメントしたりする。本文・参考文献等で言及されていないことも含めてコメントする。
  • 著者自身が自覚的に踏まえているとは考えられな場合でも、著者の議論がどのような学問的な背景に繋がるのかをコメントする。
  • 著者の議論は本文で言及されていない他の現象や事実とどのように関連づけられるかを考える。
  • 著者の議論は同じ授業で前に読んだ別の文献の議論とどのような位置関係になるかを考える。

こういうことを、学生と議論しながら進めているわけです。

そりゃ〜時間かかるわな! という感じですよね。というかやり始めたらどこかで止めないときりがないですよね。

まあでも、こういうのもあっていいのではないかと私は思っています。ははh…


「文献読みの実践」というよりは「文献読みの実演」の方がいいかもしれません。私自身がどのようにその文献を読んだのか、ということ(の一部)を、ツッコミを入れまくるという形で示しているのです。(2016-7-25)

『外国学研究87 英語学基礎科目における教授方法の研究』から公開

英語学初学者向けに書いた文章を画像pdfで公開しておきます。

「Be Going Toはどのような仕組みで未来を表わすのかについて、たどたどしく考える」

「Even Ifに見るEvenの力」



リンク先を図書館のリポジトリに変更しました。(2016-7-23)