理論言語学とロボット研究の鏡像関係

ふと思ったのですが、理論言語学(の一部)とロボット研究の研究者(の少なくとも一部)の興味の持ち方の推移というのは、鏡像関係にあると言っていい面があるような気がします。

ロボット研究をする人がどういう興味の持ち方からその道に進むのか、私は正確に理解しているわけではないのですが、テキトーなイメージとして、「鉄腕アトムとかドラえもんとかそういうのを見て「自分もああいうのを作ってみたい」という発想から始まる」「当初の問題意識は「モノづくり」ないしは工学系」という印象を私は持っています。しかしながら、(すくなくとも私の理解する限りでは)現在のロボット研究が目指すものは単なる(?)「モノづくり」ではなくて、「人間の頭の働きについての理解」です。ヒトの頭の働きつまり「認知」に関する研究において、一つのアプローチとして、「構成論的なアプローチ」つまり「作って動かしてみることで理解しようとする」という発想があります。そしてもう一方で「身体性の重視」つまり「ヒトの頭の働きは人が環境の中で他者やモノとかかわりながら生きる身体であるということを踏まえなければ理解できない」という発想があります。この二つの発想が交わるところにロボット研究があるわけで、そうするとロボット研究が目指す先にあるものが「人間の頭の働きについての理解」になるのは自然なことです。

ところで、「人間の頭の働きについての理解」を目指す学問は、もともとは人文学に入っていたわけです。哲学とか。

となるとどうなるかというと、「モノづくり」ないしは「工学系」の問題意識から出発したロボット研究者が、やがて、哲学などの人文系の研究に触れるようになる、ということが起こるわけです。

翻って理論言語学を見ると、どういうことになるか。言語学に興味を持つ人はどういう人かというと、(少なくとも「文系」と「理系」を分けて教育している日本の体制においては)「言葉が好き」から出発する人が多いのだろうと思います。その場合の「好き」は、実用的な観点からは「外国語を習得したい」「いろいろな興味深い表現を味わいたい」であり、もうちょっと学問的な(?)観点からは、まあ人文学的な興味なのではないかと思います。ところが理論言語学をやると、生成文法であれ認知言語学であれ「認知」の問題にぶち当たります。そして「認知」の研究である「認知科学」あるいはその一部としての心理学は、実験研究がメインです。脳研究とかと接点を持ったりするといわゆる「理系」と接点を持ったりします。さらに進むと「進化」の話に行ったりします。それは一方では比較認知科学とか進化生物学とかの話になるわけですが、他方では、そう、上に書いたようなロボット研究を含む構成論的なアプローチとかにつながったりするわけです。

となるとどうなるかというと、「外国語習得」とか「面白い表現」とかの人文学的な問題意識から出発した理論言語学者が、やがて、進化研究とかのいわゆる理系の研究に触れるようになる、ということが起こるわけです。

ということで鏡像関係かなあと思ったりするわけです。

そんなことを、言語学側の発言(関西言語学会 第39回大会のシンポジウム「言語理論と科学哲学」の藤田先生の話とか)と理系側の発言(『記号創発ロボティクス 知能のメカニズム入門』とか)を見て思ったりしたのでした。

というか前から思ってたかもしれないけど、あらためて思ったのでした。