知識の呪縛と無知の呪縛
認知言語学に限らず、多くの「入門書」あるいは「概説書」は実際には入門の役には立たない。分かりやすいようにとくわしく説明しようとすればするほど、泥沼にはまる。
入門の役には立たないが、分かっている人の頭の整理にはなる。
本ではなくて授業とかの場合だったら、分からないところがあったら質問すればいい、と思われるかもしれない。が、分かっていないことに関してはまともに質問もできない。これは学会発表で経験していることのはず。一番いい質問ができる人は、いちばん良く理解できている人だ。
あるいは、「ここが分からないなあ」という漠然とした疑問を抱いている人がいたとしても、その疑問を、講師にわかるような言葉で表現することは難しい。これは知識の呪縛の裏返し。無知の呪縛。
講師が自分の言いたいことを素人に分かる言葉で言うのに苦労しなければならないのと同じように、素人は自分の疑問を講師にわかる言葉で言うのに苦労しなければならないのだ。
さらにいえば、自分が何が分かっていないかを認識することは不可能かもしれない。本人はどこが分からないか分かっているつもりでも、講師にとっては、分からないことを自覚できていない、と見えることも多いのではないかと思う。
とりとめもなく書いたのでまとまっていないけれども、というより、この覚書自体知識の呪縛だか無知の呪縛だかに取り付かれているはずなので、「そんなの当たり前」と思われるか「ちんぷんかんぷん」と思われるかのどちらかだろうと思うのだけれども。
ただ一点。入門書を書くときには、assertすべきことをpresupposeしないようにしましょう。たとえば、何かの概念規定をしなければならないときに、規定の内容を連体修飾節の中に入れたりしないようにしましょう。