「キレる」の起源

とある本を見ていて思いだしたので、忘れないうちにメモ。

「キレる」、つまり、怒りのレベルが突然上昇して、他者から見れば正常でないレベルまで達し、それが望ましくない発言や行動として現れること、つまり、怒りのあまり衝動的に暴力的な発言や行動に至ること、の意味の「キレる」ですが。

前任校で、ある学生が、この表現の起源を「堪忍袋の緒が切れる」の省略だと言っていたのですが、これが私にはどうも信じがたいのです。その時も今も。それはなぜか…

まあ、「キレる」と「堪忍袋の緒が切れる」が意味的にも形態的にも近いのは認めますが、でもそれは省略説の根拠としては非常に弱いものではないかと思うわけです。

「省略」という現象がどういう場合に起こるかというと、(これは私の印象にすぎないのかもしれないのですが)「話し言葉でよく使う」ということがあると思うのです。さらに言うと、「話し言葉でよく使うから省略」ということは、省略前の形を使う話者と省略後の形を使う話者とが同一の集団である、ということも言えそうです。

で、「キレる」は(少なくとも当初は)若者の言葉として使われたと思うわけですが、これが広く使われるようになる前に、「堪忍袋の緒が切れる」という表現が若者の話し言葉でどれくらい使われていたかというと…

少なくとも私に関しては、これがまったく記憶にないのです。

(当時の)若者が「堪忍袋の緒が切れる」という表現を日常の話し言葉で使っていたという記憶は、私にはない。この表現はむしろ、「年長者の書き言葉」に現れていたように思います。かりにこの観察と、省略に関する上記の私の見方が正しいとするならば、「堪忍袋の緒が切れる」が「省略」されて「キレる」になったという考え方が根拠薄弱ということになります。

それでは「キレる」はどこから来たのか。

「キレる」が語として成立するちょっと前に私が(当時の若者の話し言葉で)しばしば耳にしていたのは、「ぷっつん」です。これは「怒りのあまり血圧が上がり、それにより脳の血管が切れる時の音」を現したものです。「脳の血管が切れることにより理性が機能を停止し、抑制が利かなくなって無秩序な発言や行動が起こる」という帰結になります。

# ここには脳とか怒りとか理性とか行動とかに関する素朴モデル(ICM)があります。

で、昔の私の周辺(つまり、1980年代の後半から1990年代の初めころ?の東京周辺)では、「ぷっつん来た」とか「ぷつんと来た」とかの言い方が「他者の言動に対して甚だしく怒りを感じた」という意味合いで使われていました。

ちなみにマスコミでは「ぷっつん」は<怒り>とは別の文脈で使われていました。それは、古くは、ふじたにみわこ、そしてその後(でも決して新しくはないですが)は、ひろすえりょうこ、に関して、「はっきりした理由なく衝動的に理不尽な行動をして、周囲の関係者に多大な当惑・迷惑をもたらすこと」というくらいの意味でした。

まあ、マスコミで使われた意味はともかくとして、私の周りの(当時の)若者の使い方は、「若者が話し言葉で頻用」という条件にぴったり合っていたと思います。そしてこの「ぷっつん」という擬態語を通常の語で(やや説明的に?)言い換えれば、「切れる」となるわけです。そしてこれを(その語の通常の用法とは認めたくない、という気持ちで?)カタカナ表記すれば「キレる」となるわけです。

「キレる」の起源が「堪忍袋の緒が切れる」だという考え方は、「良識」ある大人たちのこじつけに見えてしまう鴨なのでした。

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ここまで読んで納得された方がどれくらいいるかは分かりませんが、最後に一つ、話をややこしくするようなことを書きます。それは…

上のような起源論とは別の話として、少なくとも現時点で見れば、さらに「認知的に」見れば、「キレる」を「堪忍袋の緒が切れる」に結び付けて考えることも「アリ」だと私は考えています。

これは上の話と矛盾するかというと、「認知的に」考えれば、決して矛盾はしません!

ちなみにここで言う「認知的に」は、「認知言語学的に」とは似て非なるものです。重なる面があるのはたしかですが、重ならない面もあるかもしれません。

これについては、いつか、

「イケメン」は「イケMEN」なのか、「イケ面」なのか、「本当は」どちらなのか、を問うことは「認知的には」ナンセンスだ

という話として書きたいと思っています。

それではまた。